「ぼくとけっこんしてください」
思わぬ場所で、そんな言葉を聞いたものだから、はびっくりしてあたりを見回した。
ごっこ遊び
まさかマンション付近の公園でプロポーズの言葉を聞くことになるとは。
その言葉のたどたどしさに笑みを零しながら、まわりを見れば、
遊具のある場所で、小さな男の子が、たんぽぽの指輪を女の子に渡していた。
「いいわよ、そのかわりうわきはしないでね。」
女の子の方の発言に、少々頭を抱えながらも、はその微笑ましい光景をぼんやり眺めていた。
これもいわゆるごっこ遊びに分類されるのだろうか。
恋人ごっこ?結婚式ごっこ?名前なんて大して大事じゃないのかもしれない。
本当は今日、一ノ瀬さんを誘おうと思っていたのだ、散歩でもどうですかって。
でも、何だか不思議とそれが出来ずに、一人で公園に来ていた。
そういえば、都合の良い夢を見たっけ。
一ノ瀬さんが王子様の夢、本当に都合の良すぎる夢で、はただ苦笑するしかなかった。
去年のクリスマス、あの事件もそうだけど、心にひっかかっていたことがある。
百合香のこと・・・というのは大げさな表現だけど・・・。
あの口ぶりから、百合香は一ノ瀬家のクリスマスパーティに何度も出席していたんだろう。
その時の一ノ瀬さんはどんな一ノ瀬さんだったんだろうか?
麟くんと一緒に、パーティに出席していたのだろう。
私の知らない、一ノ瀬さん・・・か・・・。
ごっこ遊びが素敵な遊びだと、小さい頃から思うのは、
人は大きくなるにつれて自分の思うようにいかないことが多いからだろうか。
そんな風に考えて、自嘲気味に笑った。
違う。
ごっこ遊びを逃避だと考えてしまえば、それは凄く悲しい事だ。
「もしも」を考えることが悪いというのなら、人の人生は酷くつまらないものになってしまう。
ごっこ遊びは夢を与えるものだ、温かい思い出として、心の中に仕舞われる大切なものだ。
ふぅ、っとため息をつけば、さっきの男の子がぱたぱたと近づいてきた。
「ねーちゃん。」
「どうしたの?」
ベンチからかがむように声を掛ければ、不満そうな顔で男の子は呟いた。
「ためいきばっかついてると、しあわせにげるぞー。」
「え?」
それだけ言うと声を掛ける間もなく、またぱたぱたと女の子の方に走って行ってしまう。
女の子がぱしっと男の子の頭を叩き、の方にすいません、とペコリと頭を下げた。
はいえいえ、と呟き手を振ると、二人は夕方の商店街の方へと消えていった。
温かい思い出の一つを、きっとその胸に仕舞いこんで。
「おい。」
「・・・わっ、一ノ瀬さん。い、いつから居たんですか?」
後ろから声を掛けられてびっくりしてが振り返ると、一ノ瀬が立っていた。
「今さっき、だ。まったく、心配掛けるんじゃない。」
「え?」
一ノ瀬によれば、を誘いに家に行ったところ、鷹士が出て。
はお前と出かけるって言って出て行ったのに、どういうことだ、と大慌てだったという。
最早警察にすら通報しかねない兄をなだめて、一ノ瀬が探しに来てくれた、というのを聞いて、
はびっくりしたのと嬉しかったのと、申し訳ないのとで、とにかく頭を下げた。
「色々探し回ったんだが、こんなところに居るとはな。」
「本当にごめんなさい、一ノ瀬さんを誘いに行くつもりだったんですけど・・・。」
自分でも、未だに行かなかった理由をはっきり見出せなくて、困っていた。
否、十分わかっていること。
今大学に居る一ノ瀬も、の知らない一ノ瀬なのだという、その不安からだろう。
でも、何だかは凄くスッキリした気分になっていた。
「?どうした・・・?悩み事か?」
心配そうに尋ねてくれる、優しい一ノ瀬に、は苦笑した。
贅沢者の考えること、だと。
「解決しちゃいました。一ノ瀬さん、もし良かったらこのまま何処か行きましょう。」
もちろん、心配している兄に連絡を入れて、だが。
まったく、しょうがないな、は。そう呟かれて、自然と手を取られて、はその手を握り返した。
知られたく無い過去もあれば、知って欲しい過去もある。
知らない顔もあれば、知っている顔もある。
知らない相手の一面を知りたいと思うことはきっとごく自然なことだろう。
でも、昔に戻ってそれを得ることに、おそらく大した意味は無い。
だから今、これから。沢山の新しい相手の一面をゆっくり見ていけばいいのだ。
そう思うと、胸の奥に沈んでいた重たいものが何処かに消えてしまった気がした。
「一ノ瀬さん、何処か行きたいところありますか?夕方になっちゃいましたけど。」
足取りも軽く、隣を歩く一ノ瀬の顔を見上げれば、彼は満足そうな顔をしていて。
「の行きたいところでいい。・・・寂しいならそう言えば良いだろう?」
頬に触れた手が少しひんやり感じたのは、多分、の顔が赤かったからだろう。
さびしい?
ああ、そうかもしれない。全ての答えはこんなに簡単なものだったのか。
じわっと、目頭が熱くなるのを感じた。
「・・・?」
零れるまで至らない涙を、そっと指で拭うと。
一ノ瀬はの唇をそっと奪った。
触れるだけの口付けに、は頬を薄く染めた。
「ごめん、なさい・・・ちょっと・・・。」
びっくりして、嬉しくて、切なくて、ごちゃごちゃになった感情を吐き出した。
すると、一瞬怒ったような顔をして、それからまた呆れたように一ノ瀬が口を開いた。
「まったく、お前ばかりそんな風に思っているとか、考えるんじゃないぞ。」
「え?」
そっぽを向いて先に行ってしまう一ノ瀬に、は思わず顔を上げた。
それは、つまりは・・・そういうことで。
一ノ瀬も顔を赤くしているのがわかったが、はもっとだった。
この人にこんな風に言われる日が来るなんて、未来なんてわからないものだと思った。
行き先も決めてないのに、
「置いて行くぞ。」
と言って先に行ってしまう一ノ瀬のその腕を、走り寄ってがばっと掴んだ。
今はこうして隣に居る現実こそが幸せであることを再確認して、はそっと目を伏せる。
現実という思い出の一つが心にそっと仕舞われた。
2006/2/27 一ノ瀬さんが書けません・・・タイトル捻りが無いですがお兄ちゃんに使うか迷って一ノ瀬さんに・・・。